アメリカンクラッカー

アメリカンクラッカー

カチカチボール、カチカチクラッカーとも呼ばれた

日本にでは昭和46年3月に発売

宣伝文句は「アメリカで大流行の玩具」

長さ30cm位の紐の両端にの硬質プラスチック製のボールが付いている
紐の中心にはリング付いていて、親指と人差し指でつまみ上下に振る
すると両端のボールぶつかり合い「カチカチ」と音が出る

慣れるとハイスピードでボールを上下交互でぶつける事が出来て、キレイな輪に見えるし連続音を奏でる

連続○○回出来たと、競い合った
縄跳びで二重跳びが、連続○○回出来た・・と同じ感覚だね

「カチカチ」音はウルサイし、使っているうちにボールが破損する
危険だとのことで発売中止になり、短期間でブームは去っていった

やはり私のアメリカンクラッカーも、遊んでいるときに欠けました
たしかに危なかったね

その後、改良品が発売され現在も入手可能だ

五右衛門風呂(ごえもんぶろ)

五右衛門風呂(ごえもんぶろ)

底が鉄製の風呂桶に、直火で暖めた湯に入浴する風呂

暖めると言うより、沸かすといった感じだ

風呂桶の底は高温になっているので、直接触れると足の裏が火傷する

そのため、木製の底板を使い入浴する

底板を巧く踏み込んで沈めないと、底板を踏み外して足裏を火傷するので要注意だ

子供の頃に入ったことがある、五右衛門風呂が懐かしい・・・

もちろん「五右衛門風呂」名前は、石川五右衛門に由来するものだ

いまでも五右衛門風呂は販売されている(近代的ではあるが・・)

テレックス(Telex)

テレックス(Telex)

telegraph exchangeの略

主に商業用の通信手段として用いられた

テレタイプ端末(文字情報を交換するネットワーク通信機器)を使用して、相手と通信する

画像はイメージでタイプライターです(実際は通信機器が付いたタイプライターのような感じ)

日本では昭和31年10月15日、サービス開始

国内通信は電電公社(現NTT)が、国際通信はKDD(現KDDI)がサービスを行なっていた

ファクシミリや電子メールの普及により衰退した(特殊用途では、今でも用いられている)

企業の電話番号とともに、テレックス番号が載っていた昭和の時代が懐かしい

超合金(ちょうごうきん)シリーズ発売

超合金(ちょうごうきん)シリーズ発売

昭和49年7月、玩具メーカーのポピー(現:バンダイ)から「超合金 マジンガーZ」が発売された

マジンガーZは超合金Z(架空の合金です)と呼ばれる金属で作られていることから、ダイキャスト等で作られ、それまでになかった重く頑丈な玩具が完成

その後、新製品も続々登場

人気を博した超合金シリーズは、大ヒット商品となった

国産プラモデル発売

国産プラモデル発売

昭和33年12月に、マルサン商店が国産初のプラモデルを発売

原子力潜水艦ノーチラス号が最初とされている

米国Revell車のコピー

今でも他メーカーから復刻版が販売されている

「プラモデル」の名称は、マルサンが昭和34年に商標登録したもの

他メーカーは他の名称を使わなくてはならなかったが、プラモデルとかプラモを呼ばれるのが一般的だった

「プラモデル」の名称は、昭和51年から一般使用可能となった

小学館「週刊少年サンデー」創刊

小学館「週刊少年サンデー」(しゅうかんしょうねんさんでー)創刊

昭和34年3月17日創刊(昭和34年4月5日号)

ライバル誌の「週刊少年マガジン」より10円安い定価30円で発売

当初は、読み物や付録も多かった

初期のヒット作は、「伊賀の影丸」「おそ松くん」「オバケのQ太郎」「パーマン」など

講談社「週刊少年マガジン」創刊

講談社「週刊少年マガジン」(しゅうかんしょうねんまがじん)創刊

昭和34年3月17日創刊(昭和34年3月25日号)

創刊号は定価40円で毎週木曜日発売だった

「ハリスの旋風」「巨人の星」「あしたのジョー」「ゲゲゲの鬼太郎」「天才バカボン」などが連載されていた

テレビアニメ化された作品も多い

多彩なジャンルの作品が掲載されている

旧日本兵、フィリピン・ルバング島から帰国

旧日本兵、フィリピン・ルバング島から帰国

旧日本兵、小野田 寛郎(おのだ ひろお)、戦争から29年目にフィリピン・ルバング島から帰還を果たした

終戦を受け入れられず帰国を躊躇していたが、かつての上官から任務解除の命令を受け、ようやく祖国へ生還することとなった

1974年(昭和49年)3月12日に帰国

帰国時のテレビ放映は高視聴率を記録

帝国陸軍最後の軍人

ハイセイコー競馬ブーム

ハイセイコー競馬ブーム

国民的アイドルホース

1972年(昭和47年)7月、大井競馬場でデビュー
その後6連勝を達成

1973年(昭和48年)1月に中央競馬へ移籍

不敗神話をもつ「公営競馬の怪物」として大きな話題を集めた

中央へ移籍後も連勝を続け、皐月賞まで不敗が続いた

残念ながら東京優駿(日本ダービー)で破れたが、その後も人気は衰えない

増沢騎手が歌う「さらばハイセイコー」のレコードが発売され、引退に花を添えた