日別アーカイブ: 2012年8月22日

コカコーラ ラッセルヨーヨー

コカコーラ ラッセルヨーヨー

1970年代にコカコーラのヨーヨーが流行りました。

大会なども開催され、盛り上がりました。

色々な技を競ったものですが、私は、上達しませんでした。
 
しかし、上手くなくとも、伸びて縮んでの普通のヨーヨーしか知らなかった者にとっては、紐と本体の別の動きには感動しました。

スーパーとプロフェッショナルがあり、 スーパーは、ずっしり重く、プロフェッショナルは、軽量タイプでした。

レコード

40代以上の方にはに思い入れのある人も多いことでしょう

私も30年以上前にたくさん買ったものだ

数百枚ありましたが数年前からヤフオクに出品して処分していました

今となっては気軽に聴けるCDの方がいいので、お気に入りはCD化してから出品した

当時コレクションしていたピクチャーレコードやビートルズのレコードは取っておいたのですが、ついに完売したよ

貴重盤も多かったので、購入価格の数倍になるものもありラッキーだった

我が家から全てのレコードが無くなりましたが、虚しいと言うよりスッキリしていい感じだ

朱鷺

朱鷺

これは佐渡で昭和43年に保護されたキンちゃんが、まだ自由だったときに撮られた写真です。
平成15年にその生涯を閉じましたが、 日本で自然に生まれ育った最後の朱鷺でした

朱鷺 2

朱鷺 2

最後の日本生まれのトキ、キンとミドリは今や剥製となっています

しかしトキも年々増えているし、そのうちに普通に空飛ぶトキを、見ることが出来るようになるといいね

SONYトリニトロン・カラーテレビ1号機

SONYトリニトロン・カラーテレビ1号機

ソニーのカラーテレビ1号機です。
各社○○カラーのネーミングを付けていましたが、ソニーと言えばトリニトロンカラーです。
1970年代にはトリニトロンカラーのテレビCMで○○の赤ちゃん・・がシリーズ化され、よく流れていました。

2011年でアナログ放送も終焉を迎えます

ミルメーク


ミルメーク

学校給食で人気があったミルメーク

小学生の時、牛乳にミルメークが付くと喜んだものだ

ミルメークの粉を入れるとコーヒー牛乳になる

ビン牛乳のフタを外してすぐ入れると牛乳が溢れるので、ほんの少し飲んでから粉末を入れかき混ぜて完成

混ぜる時こぼさないように、牛乳のフタをしてから混ぜる高等テクニックもあり

後にはストローも付いたらしいが、自分の子供の頃は付かなかったよ

最近は市販品も多く見かけるね

コーヒーの他に、いちご、バナナ、ココアなどバリエーションも豊富だよ

呼び出し電話


呼び出し電話

昭和30年代は企業や商店では電話が一般化されつつも、一般家庭では、電話の普及率が低かった。
そのため”呼び出し電話”が利用された

呼び出し電話とは、近所の電話を持っている家にかけてもらい、電話を受けた人がその人の家まで呼びに行くものでした。
そのため電話機は玄関先に設置されることが多かった。
呼び出し電話のお宅は自宅の電話番号を××-××××(呼)と表記した
(呼)が判るようにしておかないと、かける人が○○さんにかけたつもりが、はい××です!と返事されて慌ててしまうからね

ちなみに(自)は自宅電話だよ

なお電話をかけるときは公衆電話を利用した。

昭和40年代以降に生まれた人は、ほとんど知らないでしょう

一般家庭に普及しはじめた頃は居間などに設置された。
もちろん親機1台のみなので、子供は使いにくかったものだ。
特に異性との通話はね

昭和の終わり頃からコードレス電話が普及して、自室からの通話が可能となった。

今では携帯電話が当たり前

白黒テレビ

テレビ

このテレビは昭和39年に親戚のうちにあったものです。
うちにテレビが入ったのはやはり昭和39年 白黒テレビの中古でした。
あまり種類もなかったので親戚や友達のうちに行くと、あ、同じだと思ったものです。
よく壊れ、たたくと映る、チャンネルの所はすぐ外れるというようなものでした。
当時は深夜だけでなく、午後からも放送休止時間があったと記憶しています。
そして午後4時4分になるとNHKでよじごふん よじごふん~ と、今でも耳について離れないテーマソングが流れてきて
その名も四時五分が始まりました。
確か記憶では、歌の歌詞の通りテレビやラジオの受信相談でテレビなどを見るためのHow to番組だったと思います。
今ならパソコン講座のようなものか。
よく壊れて近所のうちに見に行ったりしました。
うちにカラーテレビが入ったのが昭和47年も暮れの12月初めて、うちで見たカラー番組はサンダーマスクでした