コカコーラ ラッセルヨーヨー
1970年代にコカコーラのヨーヨーが流行りました。
大会なども開催され、盛り上がりました。
色々な技を競ったものですが、私は、上達しませんでした。
しかし、上手くなくとも、伸びて縮んでの普通のヨーヨーしか知らなかった者にとっては、紐と本体の別の動きには感動しました。
スーパーとプロフェッショナルがあり、 スーパーは、ずっしり重く、プロフェッショナルは、軽量タイプでした。
昭和30年代は企業や商店では電話が一般化されつつも、一般家庭では、電話の普及率が低かった。
そのため”呼び出し電話”が利用された
呼び出し電話とは、近所の電話を持っている家にかけてもらい、電話を受けた人がその人の家まで呼びに行くものでした。
そのため電話機は玄関先に設置されることが多かった。
呼び出し電話のお宅は自宅の電話番号を××-××××(呼)と表記した
(呼)が判るようにしておかないと、かける人が○○さんにかけたつもりが、はい××です!と返事されて慌ててしまうからね
ちなみに(自)は自宅電話だよ
なお電話をかけるときは公衆電話を利用した。
昭和40年代以降に生まれた人は、ほとんど知らないでしょう
一般家庭に普及しはじめた頃は居間などに設置された。
もちろん親機1台のみなので、子供は使いにくかったものだ。
特に異性との通話はね
昭和の終わり頃からコードレス電話が普及して、自室からの通話が可能となった。
今では携帯電話が当たり前
テレビ
このテレビは昭和39年に親戚のうちにあったものです。
うちにテレビが入ったのはやはり昭和39年 白黒テレビの中古でした。
あまり種類もなかったので親戚や友達のうちに行くと、あ、同じだと思ったものです。
よく壊れ、たたくと映る、チャンネルの所はすぐ外れるというようなものでした。
当時は深夜だけでなく、午後からも放送休止時間があったと記憶しています。
そして午後4時4分になるとNHKでよじごふん よじごふん~ と、今でも耳について離れないテーマソングが流れてきて
その名も四時五分が始まりました。
確か記憶では、歌の歌詞の通りテレビやラジオの受信相談でテレビなどを見るためのHow to番組だったと思います。
今ならパソコン講座のようなものか。
よく壊れて近所のうちに見に行ったりしました。
うちにカラーテレビが入ったのが昭和47年も暮れの12月初めて、うちで見たカラー番組はサンダーマスクでした