昭和の出来事・事件簿」カテゴリーアーカイブ

月の石を見学

こちらは地方都市ですが、
昭和45年頃に月の石がやってきた

展示場所は町内にある建物なので、小学校の授業の一環として徒歩で見学に出かけた

これが月の石か
と感動したものです

あまりにもアポロ11号が有名なので、
長年アームストロング船長の採取した石と思っていた。

50年以上経過してからの新事実😅
家族が言うには、あれはアポロ12号の石だよ

たぶん、それが正しいのであろう

ストリーキング

昭和40年代の末期に、
全裸で屋外を疾走する、ストリーキングなる行為が流行した

流行したといっても、もちろん見たことはなかった

そのような記憶を完全に忘れ去った昭和55年のある日の夕方、
幹線道路沿いのガソリンスタンドへ給油に立ち寄った

そこにはなんと衝撃の光景が・・・
全裸の男がガソリンスタンドから走り去っていった😨

店員さんに尋ねてみたら、その男は「水をくれ!」と言ったそうだ
店員さんは気持ち悪いので断ったら、その男は出て行ったそうだ

給油中に🚔パトカーのサイレンが聞こえてきた

そこは警察署の近くです
通報があったようで、あっという間に連行されていきました

あーキモっ😱

セフィーロ 皆さんお元気ですか?

もうすぐ平成時代も終わるが、昭和時代が終わりを迎えるころの日産セフィーロのテレビCMを思い出した

セフィーロのキーワードは「くうねるあそぶ(喰う・寝る・遊ぶ)」

井上陽水さんのCMでは、みなさんお元気ですか~のセリフだったが、
昭和天皇が体調を崩して入院されると日本は自粛ムード
CMは継続して流されるが、セリフがカットされ口パク状態

この件は、今でも色々語られているが、それはあくまで想像の域です
やはり昭和だからだよ

最近の人は、もっと空気読めるしね
今なら即時CM差し替えでしょう

トイレ貸して下さい。

昭和40年代、まだ小学生だった頃・・・
突然見知らぬ人が「トイレ貸して下さい。」と、我が家に尋ねてくることがあった。
古い記憶なので「便所貸して下さい。」だったかも知れない。

もちろん○○コの方ね。

全く抵抗もなく「どうぞ、どうぞ」と提供しました。
脂汗を流して、切羽詰まった表情の人を追い返すなんてことはできない。

5回位は同じことがあったような気がする。

皆さん心から感謝の表情で、我が家を後にして行きました。

大らかな時代でした
今なら見知らぬ人に「どうぞ、どうぞ」と、トイレを提供くれる人は皆無に近いでしょう。
今でも田舎なら大丈夫かな?

あっそういえば、
自分もよく行くプラモデル屋に新製品を物色に行った際、急にもよおしてトイレを使わせてもらいました。
プラモ屋のおじさん、ありがとう
まっ常連なので顔見知りだったけどね

 

「1ドル=360円」時代の終わり

1971年(昭和46年)8月15日、アメリカのニクソン大統領が発表したドル防衛策により、1ドル=360円の時代は終わりを告げた

円は「変動相場制」へ移行した

対米輸出比率の高い株式は急落
株価は過去最大の暴落を記録

しかし「円」は「ドル・ショック」に耐え、日本経済の実力を示した

国産プラモデル発売

国産プラモデル発売

昭和33年12月に、マルサン商店が国産初のプラモデルを発売

原子力潜水艦ノーチラス号が最初とされている

米国Revell車のコピー

今でも他メーカーから復刻版が販売されている

「プラモデル」の名称は、マルサンが昭和34年に商標登録したもの

他メーカーは他の名称を使わなくてはならなかったが、プラモデルとかプラモを呼ばれるのが一般的だった

「プラモデル」の名称は、昭和51年から一般使用可能となった

小学館「週刊少年サンデー」創刊

小学館「週刊少年サンデー」(しゅうかんしょうねんさんでー)創刊

昭和34年3月17日創刊(昭和34年4月5日号)

ライバル誌の「週刊少年マガジン」より10円安い定価30円で発売

当初は、読み物や付録も多かった

初期のヒット作は、「伊賀の影丸」「おそ松くん」「オバケのQ太郎」「パーマン」など

講談社「週刊少年マガジン」創刊

講談社「週刊少年マガジン」(しゅうかんしょうねんまがじん)創刊

昭和34年3月17日創刊(昭和34年3月25日号)

創刊号は定価40円で毎週木曜日発売だった

「ハリスの旋風」「巨人の星」「あしたのジョー」「ゲゲゲの鬼太郎」「天才バカボン」などが連載されていた

テレビアニメ化された作品も多い

多彩なジャンルの作品が掲載されている

旧日本兵、フィリピン・ルバング島から帰国

旧日本兵、フィリピン・ルバング島から帰国

旧日本兵、小野田 寛郎(おのだ ひろお)、戦争から29年目にフィリピン・ルバング島から帰還を果たした

終戦を受け入れられず帰国を躊躇していたが、かつての上官から任務解除の命令を受け、ようやく祖国へ生還することとなった

1974年(昭和49年)3月12日に帰国

帰国時のテレビ放映は高視聴率を記録

帝国陸軍最後の軍人

ハイセイコー競馬ブーム

ハイセイコー競馬ブーム

国民的アイドルホース

1972年(昭和47年)7月、大井競馬場でデビュー
その後6連勝を達成

1973年(昭和48年)1月に中央競馬へ移籍

不敗神話をもつ「公営競馬の怪物」として大きな話題を集めた

中央へ移籍後も連勝を続け、皐月賞まで不敗が続いた

残念ながら東京優駿(日本ダービー)で破れたが、その後も人気は衰えない

増沢騎手が歌う「さらばハイセイコー」のレコードが発売され、引退に花を添えた