さ行」カテゴリーアーカイブ

スティックのり

昭和40年代、小学校に入学すると文房具を揃えた

その中の一つが糊(のり)

当時はヤマト糊かフエキ糊

バリエーションでチューブタイプもあった

毎日のように使っていれば問題ないが、数日使わないとすぐに固まってしまう

ある日、世界最初のスティックのりプリット (Pritt) が発売された

これは凄い代物だ❗
と子供心で思ったが、高すぎて手が出ない
外国製品が高い時代だ

それからしばらくすると、国産のピット(PIT)が発売された

プリットより安かったが、それでも高くて手が出なかったな😐😓

ストリーキング

昭和40年代の末期に、
全裸で屋外を疾走する、ストリーキングなる行為が流行した

流行したといっても、もちろん見たことはなかった

そのような記憶を完全に忘れ去った昭和55年のある日の夕方、
幹線道路沿いのガソリンスタンドへ給油に立ち寄った

そこにはなんと衝撃の光景が・・・
全裸の男がガソリンスタンドから走り去っていった😨

店員さんに尋ねてみたら、その男は「水をくれ!」と言ったそうだ
店員さんは気持ち悪いので断ったら、その男は出て行ったそうだ

給油中に🚔パトカーのサイレンが聞こえてきた

そこは警察署の近くです
通報があったようで、あっという間に連行されていきました

あーキモっ😱

速度表示灯

速度表示灯(そくどひょうじとう)

かつて大型トラックの屋根に3つのランプがついていた。

意味を知らない人も多かったが、速度表示のランプです💡

停車時は全消灯
走りだすと向かって右側が点灯❌❌⭕
40km/hを超えると、2つ目の左も点灯⭕❌⭕
60km/hを超えると、3つ全点灯する⭕⭕⭕

1967年に義務化されたそうだが、
1999年に廃止されたので、今では見かけることがなくなりました😐

自動二輪免許

私が🏍自動二輪免許を取得した昭和50年代は、
いわゆる750(ナナハン)免許取得は、😎暴走族対策により極めて困難だった

小型(~125cc)
中型(~400cc)
大型(排気量制限なし)
の3区分に分かれていた

大型は限定解除と呼ばれ、主に中型を取得してから限定解除の一発試験だ

自分も高校生の時に、20回以上も限定解除の一発試験に臨んだ

初回は試験を受ける前の事前審査のみだ
事前審査は、横たわったナナハンを起こす、メインスタンドを掛ける、8の字に押す
これをクリアすれば良いのだが、全て軽々できないと落とされるのだ

事前審査を合格すれば、次から本試験が許される

しかし本試験が厳しい
定められたコースを走るだけだが、基準の点数を下回るとその時点で試験中止でコースから戻されるんだ

やっと3回目の試験で完走できた

結局合格できなかったが、一番最後の試験で試験官から告げられたことは・・・
君が4輪免許を取って、二十歳以上だったらな~

つまり合格点をクリア✔しているが、ガキなので大型免許は合格にできないと言うことだ

こちらの県では、私が試験を受けていた2年間で合格者はたった一人なのだ。
2年間でたった一人の合格者は、20代の男性で十数回目で合格したそうだ。
試験日の回数と受験者数を推測して、合格率を求めると、なんと合格率0.1%以下である。

インチキであるが故、
少し前に問題となった合格点をクリアしても不合格になった、医学部の女子受験生のように
40年分の金利を加算して、補償金をいただきたいものだ🤣

もちろん時代のせいなので、全く恨んではいないよ👌

免許制度は時折変更されるが、現行制度では、
普通自動二輪車免許(~400cc)
大型自動二輪免許(排気量制限なし)

もちろん今も所持している免許は、普通自動二輪車免許である

当時の試験車両はスズキGT750でした

ソックタッチ

昭和47年、液体くつした止め「ソックタッチ」発売

ソックタッチを塗って靴下を履けば、下がりにくいので便利

ヒット商品となった

その後、靴下の性能が上がり、下がりにくくなったためか、あまり「ソックタッチ」の名を聞かなくなった

時代は平成となり、ルーズソックスの流行とともに、再び脚光を浴びた

スマイル・バッジ

スマイル・バッジ

昭和40年代にスマイルマークの商品が流行

1971年(昭和46年)には、バッジなどの商品が大流行した

1963年12月にアメリカの「ハーベイ・ボール」デザインしたと言われる

名称はスマイリー・フェイス(Smiley face)

スマイリー・フェイスは、日本では、「ラブ・ピース」・「ニコニコマーク」・「スマイルマーク」・「ニコちゃんマーク」などと呼ばれた

smile

これが昭和40年代のスマイル・バッジ
古いので汚れが目立ちます

今も変わらず親しまれているマークだ

新三種の神器

新三種の神器(しんさんしゅのじんぎ)

カー、クーラー、カラーテレビの3Cが「三種の神器」と言われ始めたのが昭和41年

トヨタ・カローラ1100が発売されたのも、この年の11月
排気量はライバルのニッサン・サニーより100cc大きく、「隣の車が小さく見えます」と宣伝した

我が家に3Cは一つも無かった
幼児用の三輪車、扇風機、白黒テレビだったね
3C全てが揃ったのは、何年も後のことだ

3億円事件

3億円事件(さんおくえんじけん)

東京都府中市で昭和43年12月10日に発生した、未解決の窃盗事件

現金輸送車に積まれた東京芝浦電気・従業員のボーナス約3億円が、偽の白バイ隊員に強奪われた

被害額は現金強奪事件として、当時の最高金額

容疑者リストには約11万人が載り、警察官延べ17万人を導入、捜査費用は9億円以上が投じられた

3億円事件以後、給料等は口座振込が増加

また専門の警備員による現金輸送も増加した

ジャルパック

ジャルパック(JALPAK)

日本初の海外パッケージツアー

第二次世界大戦後、高度経済成長期の昭和39年に日本の海外渡航制限が解除された

昭和40年1月にJAL(日本航空)が日本初の海外パッケージツアーとしてジャルパックが誕生

昭和40年代の海外旅行はステータスが高かった

「ジャルパック」は流行語にもなった

スタイリー

スタイリー

こちらも昭和50年頃の健康ブームで、流行した健康器具

簡易ベッド中心にジョイントがあり、腰の屈伸運動などが出来る優れものだ

「スタイリー」は製品名だ

テレビCMで、大ヒットした

CMでは、3人の外国人女性が「スタイリースタイリー♪スタイリースタイリー♪」と歌いながら、使ってみせる

最後に社長?らしき外国人男性が「私に電話して下さい。どうぞヨロシク!」とコメントして、電話番号が表示された

処分しづらい品なので、古い家の片隅に残っているかもね