朱鷺 2
最後の日本生まれのトキ、キンとミドリは今や剥製となっています
しかしトキも年々増えているし、そのうちに普通に空飛ぶトキを、見ることが出来るようになるといいね
昭和30年代は企業や商店では電話が一般化されつつも、一般家庭では、電話の普及率が低かった。
そのため”呼び出し電話”が利用された
呼び出し電話とは、近所の電話を持っている家にかけてもらい、電話を受けた人がその人の家まで呼びに行くものでした。
そのため電話機は玄関先に設置されることが多かった。
呼び出し電話のお宅は自宅の電話番号を××-××××(呼)と表記した
(呼)が判るようにしておかないと、かける人が○○さんにかけたつもりが、はい××です!と返事されて慌ててしまうからね
ちなみに(自)は自宅電話だよ
なお電話をかけるときは公衆電話を利用した。
昭和40年代以降に生まれた人は、ほとんど知らないでしょう
一般家庭に普及しはじめた頃は居間などに設置された。
もちろん親機1台のみなので、子供は使いにくかったものだ。
特に異性との通話はね
昭和の終わり頃からコードレス電話が普及して、自室からの通話が可能となった。
今では携帯電話が当たり前
テレビ
このテレビは昭和39年に親戚のうちにあったものです。
うちにテレビが入ったのはやはり昭和39年 白黒テレビの中古でした。
あまり種類もなかったので親戚や友達のうちに行くと、あ、同じだと思ったものです。
よく壊れ、たたくと映る、チャンネルの所はすぐ外れるというようなものでした。
当時は深夜だけでなく、午後からも放送休止時間があったと記憶しています。
そして午後4時4分になるとNHKでよじごふん よじごふん~ と、今でも耳について離れないテーマソングが流れてきて
その名も四時五分が始まりました。
確か記憶では、歌の歌詞の通りテレビやラジオの受信相談でテレビなどを見るためのHow to番組だったと思います。
今ならパソコン講座のようなものか。
よく壊れて近所のうちに見に行ったりしました。
うちにカラーテレビが入ったのが昭和47年も暮れの12月初めて、うちで見たカラー番組はサンダーマスクでした
郵便ポスト、今のポストは四角い形ですが、前のポストは、円柱形にデザインされたものでした。カッコがいいのか悪いのかは個人の好み。
昔はなんでもシンプルなものよりも、複雑という訳ではありませんがなんか必死にデザインしたという感じでした。
今はコストが重視されこのようなものは懐かしい匂いを感じさせるものです。
貯金箱などもこのポストの形のものがよく出回っていました。
この形のポストも今でも現役で活躍しているものもありますし、飾りとして設置してある所もあります。
これが近くにありいつも見ている人はどう感じるのでしょうか?
当たり前で、懐かしいなどとは感じないでしょうか?
ところで、このポストから今のポストに変わったとき、すごくかっこ悪いと思ったものです。これはボンネットバスが変った時と同じ感じ方でした。
現役のこのポストは果たしていつまで活躍してくれるのか
公衆浴場とか風呂屋とも呼ばれる
自分の子供の頃は利用したものだ。
入り口が男湯と女湯に分かれている。
入り口を入ると番台があり、ここで入浴料や髪の長いご婦人は洗髪料を払う
短髪の男は洗髪に料金を取られないが、髪が長い人はたくさんお湯を使うので、洗髪料金は別途徴収されるのだ
番台には”番台さん”と呼ばれる係りの人が座っている。
料金徴収、石鹸やシャンプーなどの販売以外にも、脱衣所の窃盗防止という重要な役目があるので、脱衣所からは目を離してはいけない(もちろん女湯も)
そのため番台といえば、男の子があこがれる職業の一つ
浴室の壁はタイル絵やペンキ絵で描かれた、富士山の壁絵をを思い浮かべる人が多いことでしょう。
家庭風呂の普及に伴い銭湯は激減したが、昭和の終わり頃からレジャーの要素を兼ね備えた健康ランドやスーパー銭湯がたくさん出来た。